こどもが年中さんだったころでしょうか。
(こうちゃんの方です)
彼は、おとなしくてにこにこしていて、いつもみんなからかわいがられている
幸せな男の子でした。
しかし、唯一、私が悲しくなるのは・・・・
友達になにもいえないこと!!ついでに先生にも言えない!!
保育園に送りにいったとき、挨拶代わりに、こうちゃんのお腹を叩いて行く子がいました。
ちょうど、その日もそうでした。
彼はこうちゃんが痛がっていることも知らず、そのまま走ってどこかへいってしまいます。
私は、「痛いのなら、言わないとわからないよ。●くんは、面白いんだから!こうちゃんが痛いのしらないと思うよ。」
こうちゃん、目に涙をためて「・・・・・・・・・・・・・・・・」
私「友達に言うのが怖いのなら、大きな声で泣いてもいいんだよ。」
こうちゃん「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私「大きな声で泣けないのなら、先生に言ってごらん。先生も見ていないときのことはわからないんだから!こうちゃんが自分で言わないとわからないよ。」
こうちゃん「お母さんがいって!!」(小さな声で・・・)
私「それはできない!こうちゃんこれから小学校へいくでしょう。お母さんずっとそばにいなくなるよ。こうちゃんのこと助けてあげられないよ。そのとき、こうちゃんは自分で言わないとならないことたくさんできるんだよ。」
こうちゃん「そのときになったら言う。」といいます。
こんな日が何日か続きました。
そして、私はあきらめました。
この子はこれでいいんだ。ここからもがくのはやっぱりこうちゃんがやるしかない。
辛いけれど、見ているしかできない・・・
(本当にこんな風に思ったのかというと、いや・・・そうでもないですね・・・><;
多分、なんて、なさけないの・・・男の子なのに・・・・とか、いろいろ思ったと思います。)
それでも、私がかわりに先生にいうことはできませんでした。
これから、小学校へあがる息子が自分で解決しなくてはならない
そうでなかったら、今後、いじめられてもめそめそ泣いているかもしれない。
ひきこもりになっちゃうかもしれない・・・・
その当時はいろいろ考えました。
どうして、こんなこと思い出したのかというと、保育園での保護者の方との会話の中でです。
私たちが手を差し伸べること、間に入ることは簡単です。
でも、その子が今後、自立していくことを考えたら、「ここはこの子が自分でやるべきでは・・」と考えることも多いのです。
相手のおうちに苦情を言って解決することはまれです。
社会にはいろんなこどもも大人もいます。
そんなときに、言い返したり、やり返したり、怒ったり、泣いたり、人に助けを求めたり、取り合わなかったり・・・いろいろな方法があるでしょう。
幼児期にはとくにこういう経験が大切なのかな?と今更ながらに思うのです。
うちも、ここで書いたほどやっていないので・・・><;
こどもたちはまだまだ依存的です!!
だから、敢えて、もう一度思い出してみました。
こどもが社会にでていくためのプレゼントとして、私たちにできるものは
遺産を残すことでも、過保護に守ってあげることでもない。
「社会で楽しく、自立した生活を過ごせるように、さまざまな体験を通して気づかせてあげること」なのだと思うのです。
あちゃ~~~~かた~~~い・・・・・><;
そこで、私の苦手な「我慢する」「待つ」がでてきます。
あ~~~もっと言いたい~~~!!
かわりにやっちゃいたい~~~~!
先に言っちゃいたい~~~~!!
結局いきつくところはどこでも、このフレーズなんですね・・・・
う~~ん!!
どなたか一緒にがんばりませんか~?^^